戦争と怪談(上・下)

平成11~20年

著:山田盟子  新風舎
2006.08発行

「怪談の発生する場所、それは学校・病院・軍隊である」という言葉がある。いずれも閉ざされた管理システムを持つ場所の代表格である。しかし怪談本となると、学校・病院はそれだけで特化された本が多数編まれているのに対して、軍隊(自衛隊も含む)にまつわる本は非常に少ない。日本では60年以上“軍隊”と呼ばれる存在がないのだから、やむを得ないところである。また、戦争によって亡くなった人々の幽霊が現れる話はあっても、戦時中に起こった怪異についてまとめられた本も殆どないに等しい。そのあたりの事情を考慮すると、この本への期待はかなり大きかった。

だが、実際はこの上下巻を迷わず買った訳ではない。やはり一番引っかかったのは著者。僕も以前から山田盟子氏の名前は知っていたし、著書を通して“従軍慰安婦”を問題提起し続けた人物であることも覚えていた。思想的なことをとやかく言うつもりはないが、ストレートに考えて、怪談話を著すような作家ではないと思った。逆にフィクションを書くような作家でもないという認識がある。タイトルに“怪談”とあって買わないのもどうかということで、結局早々に購入した。

結論から言ってしまうと、予想通りの展開、予想通りのヘビーな作品であった。そしてタイトルが『戦争“の”怪談』ではなかった意味を痛烈に思い知らされた。

戊辰戦争の怪談話から始まる(これは多分「靖国」を意識しているようだ)わけだが、600ページにも及ぶ著書の殆どは“怪談話”ではなかった。どんどんページをめくっていっても、殆ど幽霊に出くわさない。下手をすると、一章まるごと怪談話ではなかったという部分すらある。著者が渾身の思いで書き連ねているのは戦争体験、しかも死と紙一重の逃避行や陰惨な裏面史などばかり。それはそれで“怖い話”なのだが、肝心の怪談話となると、多分1割程度のページしか割いていないように感じた。だからこの本を“純粋な怪談本”としてマニアに推奨するつもりはない(ただし、著者自身も意識していないのだが、かなり貴重な心霊関連“お宝”レポートが入っていたりするので侮れない)。

この本に書かれた怪談話を通して著者が訴えたい事象は明確である。常識を超越した事実が、当時の凄惨な現実を経験した人々によって語り継がれている。その事実から戦争の悲惨さや虚しさ、いわば反戦や厭戦とも言うべき感情の発露を見出そうとしている。それ故に体験者から聞き取った凄惨な戦場の状景を書き尽くさなければならないのである。そしてその地獄の背景の中から生まれ出た怪談話を検証なしに添えていく。たとえそれらの証言が幻覚であろうと、戦争の悲劇を訴えるために必要な事実なのである。…怪異を愛でるつもりで読み出したら、身の置き場をなくす気分に陥る可能性が多分にあるだろう。

戦争にまつわる怪異を集めた貴重な書籍の代表に『現代民話考2・6』の2冊がある。書いたのは、山田盟子氏と同年代の松谷みよ子氏。こちらも圧倒的な証言数をもとに編まれた傑作であるが、生々しさで言えば、本作の方が迫力があるのは確かである。しかしながら、“民話”という概念のフィルターを使い、著者のコメントを極力排した松谷氏に比べると、著者の感情や思想が透けて見える本作はともすればその強いメッセージ性から敬遠される傾向があるだろう。ただどちらの著書も“戦争”にまつわる怪異を編んだ作品として、将来にわたって記憶に留めておくべきだと思う。

戦争が終わって60年以上が経つ。体験者自身が語る“戦争怪談”採集は間もなく途絶することになるだろう。今まで戦争の現実的悲劇を問題提起してきた著者が敢えて“怪談”を題材に取り上げたのも、単なる気まぐれではないように感じる。

2007.01.04公開

純粋な怪談本ではないが、「怪談」と名が付けば食指を伸ばす。この本もこうして蔵書に並ぶことになったのだが、とにかく評に書いた通り、内容は暗く重い。今の怪談の系統で言えば《厭系》とか《グロ系》に近いテイストと言えば、分かって貰えると思う。もしかすると怪談として書いたものではないから、その切り口はもっと残酷で容赦ないかもしれない。
ただし目にする機会があれば是非読んでもらいたい一冊でもある。もはや死語になるかもしれない《戦場の怪談》が体験者が直接語る形でしっかり収められているからである。20歳で兵隊として戦場で辛酸を舐めた方々も間もなく100歳になろうとしている現在、この種の怪談をまとめて読める数少ない書籍である。ちなみにこの本より後に発刊された【戦争関連怪談本】は寡聞にして記憶にない。