怪談聖 とこよかいわ

実話怪談本

糸柳寿昭:著  竹書房
2022年7月6日 初版第一刷発行

全話とも全て会話だけで構成されるという、破格のスタイルの怪談集である。如何にも奇抜な仕掛けであるが、一朝一夕で出来るレベルではないと思う。似た文章スタイルで言えば《戯曲》があるが、この怪談集には“ト書き”がなく、シチュエーションすら台詞の中で練り上げて提示する荒技を見せる。さらに似た形態のものとして落語や漫才の《話芸》があるが、それらと比べると“声”という感情表現が使えない分だけ難易度が上がるだろう。単に取材時のやりとりを丸のままコピペするだけでは成立し得ない、相当細かい部分にまで神経を尖らせて会話を作り込んで展開させなくては、「怪談話」として読者を怖がらすことは難しいのである。かといって大仰な台詞回しにしたり、取って付けたような情報提示に終始するような台詞もほぼ見当たらず、とにかくスムーズなテンポで会話が進み、そしてきちんと怪談として“オチ”を決めてくる。実に奥の深い技巧である。
このあたりの力量は、怪談社として怪談話芸に磨きを掛け、さらに怪談作家として縦横無尽の書き方に注力してきた糸柳寿昭氏だからこその《芸当》であると言えるだろう。

しかし正直なところ、この会話スタイルの怪談が全作品内で機能しているかと問われると、やはり8割ぐらいが限界かもという感触。さらにものの見事にはまったと唸らされたものは半分にも満たなかった。勿論明らかに失敗と断じる話は皆無なのだが、この会話スタイルを選択することが最適解であると思わせるまでに至らない話も散見するように感じた。とにかくこの会話形式が見事にはまった時の驚きと爽快さの次元があまりにも高く、そうでないものとのギャップが大きすぎるのである。抜群のインパクトを持つが、汎用性の点ではその個性を発揮しきれないというところなのかもしれない。

そして最後に。あとがきに当たる糸柳氏による《一言コメント》がとにかく面白い。ここは糸柳氏の個性全開で、単なる茶茶入れから取材の裏話、隠された真相まで、それこそ融通無碍の極みで本質に斬り込んでくる。これもまたある種の《芸当》である。