闇塗怪談 瞑レナイ恐怖

実話怪談本

営業のK:著  竹書房怪談文庫
2022年7月6日 初版第一刷発行

全体評

実話怪談に関わる人間の中には、自らがいわゆる[視える]人であることからこの世界に入り込んでいったという層が一定の割合で存在する。そういう彼らであるが、2つの道を歩むことが多いようである。一つは、自らが体験した怪異を怪異の表現者に提供する役割を担う人々。そしてもう一つは、自らが怪異の表現者となって自身の体験を語ったり書いたりする役割を担う人々。いずれも実話怪談を愛でる者からすれば大変貴重な存在であり、現在の実話怪談の活況を支える存在であると言って間違いないと思っている。
ただ実話怪談に関わる[視える]人の中で、自らの体験談を表現する者は少数派であることは事実である。《書く》分野において[視える]ことをはっきりと宣言して書く人、特に商業誌レベルではとりわけマイナーな存在である。言うまでもなく[視える]ことに対する偏見というか、あり得ないことを言う胡散臭い人物とのレッテルを貼られることを避けたい気持ちが強いのだと推察するし、実際そういうことを聞くこともある([視える]などの能力をウリにするのであれば、むしろ逆に大いに喧伝するだろうが、正直そういう方がより胡散臭いケースもあるので油断ならない)。
以上のような実話怪談界隈の事情を知っているからこそ、営業のK氏が、自身を含めた怪異体験を記したブログをネットニュースで紹介され、さらに商業誌デビューを経て量産体制で次々と単著を出していく様は、まさに《快進撃》であると思って見ている。

氏の作品を支えているものは、言うまでもなく【引きの強さ】である。おそらく[視える]能力も相当あるのではと推測するが、それ以上に強烈な怪異が手元に寄ってくるというか、同じ熱量を費やして他よりももっと稀少な怪異譚を拾う力があるように感じる。怪談作家の中にもそういう稀有な能力(運命的なものだと思うが)を持っている方はおり、その中でも上位に位置付けられるほどの【引きの強さ】を持っているようである。
このような特色を持つ怪異を集めた作品であり、インパクトの強さは相当なものと言うべきである。実際、書評などのために2度目に作品を手にした際に、全作品ともタイトルと出だしの数行で明瞭に怪異の内容を思い出すことが出来た(普段は6~7割程度の率である)。それだけ際立ってレアな怪異が多い、あるいは断片的でも印象に残る部分が明晰であると、個人的には理解している。そしてこのインパクトの強さは怪異そのものと同時に文体にあると感じている。

「あとがき」で営業のK氏自身が“素っ気なく素人然としたブログ的な文体”と評する文体であり、しかもほとんど時系列的に“あったること”を書き連ねていくスタイルを踏襲する。特に何のひねりもなく、ある意味発端から結末までほぼ一直線に話が展開していく、単純な構造になっている。おそらく文体だけではなくそういった構成面も含めて“ブログ的”という表現をしていると思うが、むしろそういう素っ気ない文章であるからこそ、強烈な怪異を表現するのに適していると感じるところである。
一口に《怪談》という括りをするが、それが書かれる意図は多種多様である。怪異の内容を明らかにして恐怖や不思議を読書に提示しようとするもの、怪異を通してその体験者の心情の機微を表現しようとするもの、あるいは怪異の起こった起源を探って社会的背景などを露わにしようとするもの等々。そういうことを考え合わせるならば、この【闇塗怪談】シリーズは言うまでもなく、起こった怪異を紹介しその恐怖や不思議を読者に伝達するところに主眼があることは間違いない。しかもそれらの怪異は稀なほど奇異な怪異であり、恐怖を煽って読む者に衝撃を与えるだけの力を持つ。そのような特徴を持つものをずらりと並べてあるが故に、小細工は必要ないのである。
怪であるのかどうか判別しがたいような淡い感触がもやのように立ちこめる場を表そうと思えば、あるいは怪を通して人の感情の移ろいゆく様を余すことなく書ききろうと思えば、当然その微妙なものを見極めさせるだけの解像度が必要である。しかし“あったること”を的確に表現して相手に理解させることが主眼であるならば、単純明快な言葉や展開こそが最も重宝される。むしろ細やかな表現で目の前に起こっている現象にたどり着けない、あるいは現象をぼやかしてしまうことは、却って本来の目的を殺してしまうことになる。稀有で強烈な怪異には、基本的には微妙な表現は不釣り合いであり、よほど練達した腕がなければ避けるべきだろう。解像度は高いがその分だけ読み込み時間が掛かるようでは、怪異の持つインパクトを瞬時に把握するタイミングを逸してしまう。それよりも解像度が多少粗くても一気に怪異の状況が飲み込める場に持ち込むことが重要になると思う。それ故に、素っ気ない文で時系列的展開で書くというスタイルで強烈な怪異を提示する手法は、王道であると言えるかもしれない。平明で達意の文であればそれで十分通用するし、その方が怪の本質を見極めることが叶う。変に技巧に走らなくとも、読者を呑み込んでしまう圧倒的な力が、一連の作品には既に宿っているのである。

闇塗怪談 瞑レナイ恐怖 (竹書房怪談文庫 HO 558)
「あいつ、友達を貪り食うんだ」 友人の連続死と悪夢。 因果の種は少年時代に…。 「鬼ごっこ」より 肉は滅べど、怨みの炎は燃え続ける… 金沢発、闇を呼ぶ実話怪談第9弾! 石川県金沢市で営業マンとして働きながら、夜な夜な怖い話を綴る著者の人気シリーズ第9弾。 家族以外の人間の立ち入りを禁じる友人の家。家に住む神様が怒るから...

各作品について

ネタバレがあります。ご注意ください。







集合写真
邪悪な霊は人を着実に騙す。しかしSNSを使って個人とやりとりし、自分の写っている心霊写真を送りつけて、さらに嘘の説明を直接電話でやりとりするところまで連続してくると、さすがに類例を見ない。このレベルの怪異譚になると、細かな細工を施さなくても、ごく普通に“あったること”を時系列に並べていくだけでしっかりと怪異を伝えることが出来るし、それでいて読み手の意表を突くことも出来る。インパクトの点では本作の中でも一頭地を抜く作品であると思う。
この怪異は色々な解釈を施すことが可能だが、おそらく連絡をしてきた目的は挑発であり、霊そのものだけではなく受け取った相手(ここでは作者本人)にそれなりの霊的な感応力がないと成り立たないと推測する。いわゆる“0感の持ち主”ではここまでスムーズなやりとりが出来ないのではないだろうか。またその霊が、心霊写真に写っている8人の生身の人間いずれかに憑依している可能性も高い。とにかく考えれば考えるほど危険な体験談である。

乗ってくるモノ
これも典型的なタクシー怪談と思わせる展開で、土壇場で強烈な怪異を見せてくる。パターン化された怪談だからこそ、こういういきなりのバリエーションが飛び出してくると、読み手としては隙を突かれた格好で立ち往生してしまう、圧倒的なインパクトを生み出す内容になっている。こういう怪異を拾ってこれるところが、作者の【引きの強さ】を感じざるを得ないわけである。
精査すればおそらくこのあたりでひき逃げされた男性がいるのかもしれないし、あるいはタクシーに轢かれて亡くなった男性がいるのかもしれない。「人を轢いたことがありますか?」を繰り返し尋ねてくる、実際に目の前で轢かれ血みどろの姿を見せつける霊の行動に、怨みの念の深さを感じる。さらに2週間後に本当に人身事故を起こしかけたのも霊障に近いものではないかと考えると、とんでもなく凶悪な霊である。

知らせ
不条理な因習、しかも逃れることが出来ない宿命的なものを勝手に負わされた恐怖を描いた内容である。核心部分である《死の予告》の正体の前に、体験者の少年時代のエピソードをきちんと時系列的に書いているため、真実は不明ながらも村にある神社と《死の予告》に何らかの因果関係があること、そしてこの宿命の根深さや嫌悪感というものが読み手に明瞭に伝わってきた。
我々のまだまだ知らない世界、どうあがいても逃れることの出来ない運命というものは、さほど遠くない場所にひっそりとあるのだ。

その他には
「目を閉じて」(一気に予定調和的恐怖に落とし込んでしまう筆の勢いが良い)
「近づいてくる」(最後のオチが強烈すぎて、そこに至るまでの鉄板ぶりが吹き飛ぶ)
「縁は結ばれた」(定番の「もらい事故的な祟り」怪異譚だが、ネタそのものが凄惨)
「神様が住む家」(家や一族の来歴がもう少し見えてきたら、とんでもない大ネタになったかも)
「ネズミ捕り」(「幻の車」にまつわる怪異。警察が一枚入ることで信憑性が増す)
「何が起こったか」(能登の漁村の怪異。もう少しノスタルジーが欲しかった)
「屋根の上」(これも曰く因縁のありそうで、その一端が見えてこないもどかしさが……)
「妻の会社」(よくある会社の怪談だが、タイムカードというガジェットが効いている)
「今から帰ります」(これもブログ怪談のお手本のような作品。分かっていて煽ってくる)
「鬼ごっこ」(怪異のネタとしては相当マズい部類と見受ける。まだ完結していない恐怖)
あたりが印象に残るところである。全体としては、不思議系のシュールな怪異譚になると、パサパサした文の感触が個人的にあまり口に合わなかったという感想である。