大阪怪談 人斬り

実話怪談本

田辺青蛙 著  竹書房怪談文庫
2022年6月6日 第一刷発行

全体評

竹書房の「ご当地怪談」シリーズの1冊である。大阪府内の様々な怪に関するトピックを書いているが、全体的な印象はまさに【けったい】に尽きる

【けったい】という言葉は元々大阪でよく使われる語で「奇妙」とか「不思議」という意味であるが、ただそれだけではニュアンスが伝わってこないのも事実である。「奇妙」で「不思議」ではあるが、そこには恐怖の感情は少ない。むしろ体験した本人も苦笑いしながら首をかしげるような雰囲気、実際に体験してもどこかしら掴みどころのない感触、不承不承納得せざるを得ない事実に対する印象、そういう感情を大いに含んだ言葉である。起こった現象に対して確実に「おかしみ」の感情を持って接しているという感覚を匂わせていることは間違いない語である。

本作では大阪各地で秘やかに語られている怪異、しかも他の地名に置き換えることが不可能なぐらい具体的な内容まで表記している作品が多い。その中には書名のサブタイトルにもなっている「人斬り」に関する怪談が複数登場するし、世間を恐怖に陥れた昭和時代の事件もほとんどぼかさず扱っている。取り扱っている怪異のトピックについては、ある意味相当エグいものがある。
しかしそれらの事件や怪異が恐怖を煽る材料になっていないのが、本作の一番の特徴であろう。事実関係の説明は説明として残虐な表現も使いこなしているのだが、ただ起こった怪異に関する記述については決して大仰にはならず、むしろナチュラルと言うべき柔らかい筆致になっている。特に筆者個人の体験に絡む話の場合、体験時の状況や会話をゆるりと並べていくことで(とりわけ怪異の現場へふらりと出かけて色々な人と出会うパターンが、いかにも関西の物腰柔らかな味を出していて非常に楽しい)、恐怖を緩和させているような印象がある。しかもそのあたりが非常に自然体なので、何だか日々の身辺雑記を読んでいるような感覚で怪異を読んでいるような気分になる。
変な言い方になるかもしれないが、エッセー形式で書かれた怪談を読んでいるような雰囲気なのである。
内容的にはかなり強烈な怪異になるだろうと客観的に感じ取ることが出来るのだが、全体的な書きぶりが柔らかいため、そこに変なギャップを感じ取ってしまうのだろう。その感覚の陥穽にはまった感想が【けったい】という言葉を言わせていると思うところである。

一方で、大阪各地の具体的な事件事故にまつわる怪異を書き綴ることから、《伝承怪談》が絡んでくる作品も少なからずあった。この《伝承怪談》の扱い方に関しても、非常に面白い流れを形成していたように思う。
最も特徴的な方法は、前半部分で過去の伝承を紹介しつつ、最後にその場所でつい最近起こった怪しい出来事を付け加えるというやり方である。伝承とどのように関係しているかの確証もないし、場合によっては偶然の産物ではないかと思うような怪異の内容もある。しかしながら流れの中で書かれるからこそ、これが些細な内容であったとしても何かしらの符丁をもたらす。そうやって形成されていく怪談話は、やはり意図的に構成された一つのまとまったストーリーというよりも、ごく自然に語られる四方山話的な風合いを見せてくれる(本当に勝手気儘に書かれているはずはないのだが)。この自然体の書き方がエッセーと言うべきか、一般的な怪談作品とは少し毛色の違うニュアンスをつけてくれているように思う次第である。人を怖がらせるために妖しいまでに研ぎ澄まされた話ではなく、ごく普通の生活の中でぽんと現れる怪しい噂や怪異体験談をふんわりと包み込んでしまうような、かといってただの与太話では終わるような軟弱なものでもない、とにかく【けったい】な味わいの作品に仕上がっていると感じ入った。
そして伝承の怪異と現代の怪異とを一つの作品の中でまぜこぜにして書くというやり方によって、《伝承怪談》を単なる過去の遺物のままにしておくのではなく、現在と密接にリンクした存在に生まれ変わらせることに成功している。それは伝承が過去の中に埋もれ込んでしまった存在ではなく、人知れず脈々とその土地に根付き生きていることの証に他ならない。こういう形で《伝承怪談》が活かされていくスタイルは、ある意味《伝承怪談》にとって最も理想的な扱いであると言えるかもしれない。

大阪怪談 人斬り (竹書房怪談文庫)
シリーズ第2弾! 魑魅魍魎が跋扈する大阪! 恐怖の怪異ガイドブック 北区:百貨店前で目撃されたゾンビの幽霊! 堺区:死んだ人に会わせてくれる、ふしぎ地蔵 福島区:地図から消えた謎の島の怪異 中央区:死を招く、コンビニの傘の忘れ物! 西区:切腹のくじ引きをした土佐稲荷神社 千早赤阪村:河内音頭で唄われる十人斬り猟奇事件 ...

各作品について

ネタバレがあります。ご注意ください。







天満のたこ焼き
本作の中で最も典型的なエッセー的作品。一歩間違うと「これは怪異か?」と首をかしげてしまうほど、軽微な話から話が始まる。たこ焼き屋の話から、そこで出会った変な人物、さらにその人物と頻繁に間違われる歯科医という流れで筆者の体験談が進んでいく。さらに『新耳袋』コンビによる分身のような人物を見かけた話から、自分自身にも分身のような人がいる話へ持っていく。ここまで6ページの内5ページが費やされているのだが、怪談としては弱すぎる……というジリジリした気分に襲われる。そしてラストの10行足らずの部分で初めてギョッとするような分身(?)の話が登場し(それが著者の夫でも円城塔氏の絡む話なので、結構稀少だ)、〆はまた歯科医のエピソード(オチ)に戻る。
実話怪談の作品としてはあまりにも前ふりが長すぎて、ある意味体を成していないと酷評されてもおかしくない。だがこのたこ焼きの話から歯科医までのエピソードが何ともほんわかとした味わいがあり、これを受け入れられるかが、この作品の評価に直結すると感じる。ちなみに個人的には、悪ふざけではないので「許容範囲」という見解である。

空襲の夜
戦中の話の中でも最も特異で、且つ鮮烈なぐらい美しい話ではないだろうか。火の海の中で一人舞い続ける歌舞伎役者とそれを立ち止まって忘我の境地で眺める人々というビジュアルを想像するだけで、鳥肌が立つ思いであった。おそらく戦争実話怪談の中でも最高の体験談の一つであると確信する。
実際のところを言えば、この舞い続けたものの正体が歌舞伎役者の中村魁車であるかどうかは確かめようがないし(この日の空襲で焼死したことは事実である)、もしかすると群集心理による幻覚だった可能性も否定できない。それでも戦争怪談として出色であるし、何よりこの空襲で亡くなった人々への鎮魂の舞ではないかと迫ってくるものを感じざるを得ない。

無予告の怪談会にて
正直言って、ここに登場する怪異の内容は相当エグい。煽って書こうと思えば、かなりの恐怖譚として仕上げることが出来ると思う。しかしそれを敢えてせず、採話時の状況を出来るだけ忠実に再現したため、何とも言えない珍妙な印象を持つ作品になっている。まさしく【けったい】を体現した話である。
最初は「何じゃ、このおっちゃんは」から始まり、終始その陽気な酔っぱらいのテンポで語られる。さすがに怪異の核心部分は“作者の要約”という形で理路整然とまとめられているが、とにかく前半の妙ちくりんなおっちゃんのキャラを引きずったまま、話が進んでいった感がある。怪異が強烈であるだけに、単なるおちゃらけた話にならないのを計算した上での一作であるとみている。

その他には
「寿命」(これも終戦直後の怪異譚として佳作)
「コンビニの傘」(これは呪物というよりも妖魔の類なのかも)
「ミキサー」(怪異そのものが【けったい】な一作である)
「夢で見る」(伝承通りの怪が起こる、そしてもの悲しい)
「住吉区の銀行の怪談」(超有名事件にまつわる怪異譚。内容は結構ヤバ目)
「病院の前の家」(数少ない正統スタイルの怪談話。事件と考え合わせると強烈)
あたりが印象に残るところである。

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