京都怪談 猿の聲

令和時代

三輪チサ 緑川聖司 Coco 舘松妙 田辺青蛙:著  竹書房怪談文庫
2022年8月5日 初版第一刷発行

全体評

京都出身の私にとって、この『京都怪談』が本当の意味での《ご当地怪談》の本になる。当然のことながらちらちらと噂に聞いていた場所と怪異が登場していたり、逆に初見ではあるが場所の表記などからおそらくこの土地での怪異なのだろうと見当をつけてみたり、やはり地元の話は刺激があって面白い

ただ各作家ごとにそれぞれ筆を振るって京都の怪談を出してきているのだが、その際に《京都の怪談》という言葉のニュアンスの取り方に差があり、それが5人の競作本であるというコンセプトにとって良い影響を与えていない感がある。
具体的に言うと、京都に住まいを構えているからといって、その家の家族に起こった怪異を《京都の怪談》とするのは、やはり違和感が出てくる。特に《京都》の持つイメージに即したガジェットが作品に出てこないと雰囲気が湧いてこない。かといって逆に伝説や伝承のみ紹介して《京都の怪談》とするのも大きな違和感を覚えることになる。やはり“現代の怪談”と言うべき内容が出てこないと、伝説・伝承の紹介だけではいわゆる観光スポット案内的なコンセプト本になってしまうのが、《京都》という歴史的観光都市の宿命と言える。
このあたりのニュアンスの相違が作家ごとに現れるため、各作家の個性としては問題はないが、1つの本にまとめられた時に統一性に欠けるという悪い印象が出てしまう。仮にこれが一人の作家の編著作であれば、あるいは各作家ごとにしっかりとコンセプトへのアプローチの分担が決まっていれば、さほど気になるレベルにはならなかったはずである。もう少しその点を配慮した作りになっていれば、《ご当地怪談》本として結構な出来映えになっていたように思う。

京都怪談 猿の聲 (竹書房怪談文庫)
最恐心霊都市 京都裏ガイド ミヤコに彷徨う怪異が詰まった京都だけのご当地怪談集! 豊臣秀次の霊が、木屋町の飲食店に… 怪奇現象が絶えないK大学 幼い霊が棲む右京区の団地 西陣に開いた異空間への入り口 石清水八幡に出没する謎の鯉女 物の怪が潜む南禅寺 妖し蠢く〈京都〉を舞台にした実話怪談を京都に所縁ある五人の作家が書き下...

各作品について

ネタバレがあります。ご注意ください。







夜の西陣
些細な怪異、もしかすると単純に作者の記憶違いの可能性もあるかもしれないが、“碁盤の目”と言われる町の造りと“西陣”という込み入った路地の町のイメージをふんだんに使った、実に《京都》的な怪談である。
昼間はまだ町並み風景や太陽の向きでどこをどう歩いているのか理解できているが、実際夜に不慣れな路地の町を歩くと、一筋曲がる場所を間違えただけでも異界へ放り込まれたかのように混乱してしまう。ちょっとしたマヨイガ体験である。さらにその途上で現実のものとは異なる造りの神社を見つけ、境内でおかしな出来事と遭遇するとなれば、立派な怪異譚である。しかしこの体験を恐怖ではなく、まさに“狐につままれた”ような不思議な感覚でするすると書き進めていくところに、さらに“らしさ”を引き出していると言えるだろう。

こども
ジェントル・ゴーストストーリーの秀作である。体験者の感情を説明する言葉は一切ないが、この不思議な子供に対する慈しみの感情が滲み出ており、その後の展開で彼らがその子に対してどのような感情を持って接していたのかも十分理解できる。怪異としても、これだけ長時間にわたって霊体と接触、しかもそれが霊体であると分かった上で接触するという話はあまり記憶にない。
半日もの間体験者と一緒に行動した子供は一体何ものだったのだろうか。花火会場に彷徨っていた浮遊霊なのだろうか。それとも体験者の願いの強さを試すために現れた神仏の化身なのだろうか。あるいは未来からやって来た将来の子供の姿なのだろうか。いずれにせよ、この子供との遭遇によって、体験者が得たものは非常に大きかったと言えるだろう。平易な言葉による状況描写だけで巧みに世界を構築する作者の筆さばきも見事としか言いようがない。

バブル・ファッションの女
有り体に言ってしまうと、工事現場で少し時代遅れの格好をした幽霊と目撃したという、至ってシンプルな怪異譚である。
しかしこれは目撃された場所に旨味があり、まずお化け屋敷として使われる場所でこしらえ物をしている最中に起きているという点が面白い。要するにお化け屋敷に本物が出てくる可能性があったことになり、なかなか興味深い話になっている(実際にそのようなボティコンお姉さんの幽霊がお化け屋敷に出てきたら、場違いすぎて笑い話になってしまいそうだが)。
そしてもう一つ、《京都》というコンセプトから見ると、四条河原町という一番の繁華街近くに現れる非常に現代的な格好の幽霊はかなり珍しい存在になる。これが着物姿だったらさもありなんとの印象になるのが《京都》イメージであり、それを覆す霊の存在は何とも痛快である。

赤壁の家
本作中で一番の大作であり、心胆寒からしめるようなショッキングな内容ではないが、因果応報の物語として出色の内容である。
簡単にまとめると、敢えて禁忌を破ることで福を得ようと考えたオーナーが、破った禁忌があまりにもとんでもないために、ほぼ瞬殺状態で祟られてしまったという話である。ただこの怪異の本質はそこではなく、この怪異に何故か深く関わることになってしまった体験者の出自を辿るとその禁忌の主人公・豊臣秀次に行き当たるという、最後にさらりと語られる因果こそが核心であろう。偶然ではない何かがこの話の底の部分に流れており、その因果の巡り合わせに鳥肌が立つような思いがした。400年の長きに渡って繋がってくる歴史の重みを感じさせる佳作である。

オキキ狐
久しく廃れてしまった風習にまつわる怪異である。しかもその怪異の内容が「狐が化けて現れる」という実にオーソドックスな昔話のような事柄なので、非常に不思議な話である。
ストーリーの大半を“オキキ狐”にまつわる伝承の説明に費やした後で、去年に起こった怪異についてさりげなく語り出す。実際はどこまで関連性があるのかは不明なのであるが、かつての風習通りのお祀りをおこなった後に、言い伝え通りに「亡くなった家人が家にやって来る」し、駄目を押すように「獣の足跡」という物証まで出してくる。単なる伝承紹介で終わるのかと見せかけて、ここまでの事実を並べられてしまうと、今後を期待するしかないように思えてくる。

その他にも
「売れない町家」(何とも京都人らしい対応としか……)
「寺と呪い」(凄まじい抵抗を見せるわけでもなく終わるが、その執念深さはインパクト大)
「公園」「あそぼ」(2作並べると、相乗効果的な恐怖を覚える。今も残っているのか気になる)
「ギャラリー」(これも絵に描いたようなジェントル・ゴーストストーリー)
「十三まいり」(考えれば考えるほど怖い結末。ちなみに私は振り返っていません)
「お化け屋敷プロデューサーの体験談」(紹介される怪異も含めて、実にまったりとした怪談話)
「トンネル傍の宿」(個人的に場所が分かっているだけに、実際紹介されると気味が悪い)
「K大学にまつわる話」(小ネタの詰め合わせパックだが、ありそうな話ばかりで面白い)
あたりが印象に残った。どちらかと言うと、個人的記憶と直結した印象に引っ張られた選になってしまった。《ご当地怪談》故のことなので、ご寛恕を。