自宅怪談

実話怪談本

夜馬裕:著 イーストプレス
2022年8月10日 第一刷発行

全体評

怪談の恐怖度で測るならば、今作が2022年度の一番であろうと思っている。
書かれている怪異そのものも当然強烈なものが多数含まれているわけだが、それ以上にストーリーの構成力に長けている部分が大きいという印象である。

実話怪談の場合、体験者の証言を元にした記録という側面を持つ故に、基本的に《時系列》でストーリーが展開される傾向がある。具体的に言えば、怪異の発端から怪異の現象そのものの描写記述、そしてカタストロフィーとしての怪異の結末でクライマックスを迎える流れが一般的である。
体験者の回想や、取材者とのやりとりを間に挟んでいくことは多いが、怪異現象自体の展開はあくまで時間の経過に沿って流れていき、そこで体験者が認知した内容がある程度順序よく開示されていく。そしてストーリーのハイライトとなるのが怪異の結末、例えば怪異の実体の登場、その出現によって引き起こされる悲劇的結果などがストーリー全体の中心に置かれ、読者の興味や恐怖が頂点に達する。特に時系列的に書かねばならないルールはないが、ほぼ間違いなく踏襲されたパターンであると言って間違いない。怪談作家は、その一連の流れの中で、怪異自体の稀有なえぐさや的確な描写で読者に恐怖感を植え付けていくのである。

対して夜馬裕氏の怪談の特色は、恐怖の演出にあると言える。いかに読後に強烈なインパクトを与えるかを計算して、もっとはっきり言えば衝撃的な結末に至るまでのプロセスを逆算して作り込まれている。実話怪談である故に細大漏らさず取材した怪異を忠実に再構成するという考えにとらわれず、むしろ怪異を通していかに読者に衝撃を与えるかを考えているように見える。そのためには敢えて重大な情報を最後まで提示しない、即ち、時系列で流れていく怪異の記述の中でわざと書き落としをして最後の余韻の部分で思い出したように示したりする。あるいは怪異の表層である現象面だけを矢継ぎ早に提示し続け、最後の部分でようやく怪異の元凶とも言える事実を示して読者の感情を奈落の底に叩き落とす。
他の怪談作家でもそれなりに使う恐怖へのアプローチの常套手段であるが、夜馬裕氏の場合それが徹底されており、強烈な怪異の実体で締めても恐怖感を十分引き出せるだろう内容でも、さらに想定を上回るダメ押しをしてくる。実話怪談でありながらも大胆な文章構成で、あたかもエンターテイメント的小説張りの作品に仕上げていく技量は実に興味深くて面白い。

そして怪異現象そのもの以外の部分を強烈な落としどころとする構成であるが故に、氏の怪談の場合、それを上回るドロドロした存在がどうしてもクローズアップされてくる。それがいわゆる《胸糞型の厭系怪談》に繋がっていくことになる。
己の欲望のためならばあらゆる手段を講じてくる邪悪な存在から、魔が差した瞬間に取り返しのつかない過ちを犯してしまう愚かな存在まで意識の差はあるにせよ、とにかく怪異の裏事情と言うべき部分が最後の最後に明るみに出てきた瞬間に、何とも言えない気分の悪さを感じてしまう。生きていようがいるまいが、とにかく当事者である人間(“元”も含む)の強欲や邪悪さをあぶり出して厭な気分にさせる。そしてその感情が激しくなればなるほど、翻って怪異の現象そのものに対しても不快な印象が増幅される。おそらく同じだけの不快感の質量であったとしても、怪異の進行中に差し挟まれるよりも、怪異の全てが終わった段階で改めて語られる方がインパクトは強烈であろう。《胸糞悪い》という感情は、そう思った瞬間に爆発的に不快を撒き散らして感情を支配することが出来る故に、最後の部分に単独で置くことで却って最大効果を発揮するのだろうと推測する。
ただ言うまでもなく、《胸糞型の厭系怪談》はそうそう簡単に取材して収集出来るものでもなく、このタイプの怪異譚の頭数が揃えられるだけのさまざまな“力”が必要である。それを考えると、この一冊は非常に優れた実話怪談本であると言えるだろう。

自宅怪談
「もう逃げられない! 」 自宅に巻き起こった怪異だけを蒐集した究極の超怖い話集。 最も逃げ場のない「自宅での怪談」だけを蒐集。 玄関、廊下、台所、リビング、トイレ、風呂場、洗面所、書斎、子ども部屋、寝室、ベランダ、物置、押し入れ、天井裏、隣室の壁……日常、安息の場、そのすべてが怪異に染まる……

各作品について

ネタバレがあります。ご注意ください。







深夜二時四十五分の来訪者
冒頭の話からいきなり思い切りぶん投げられたような、鮮やかなどんでん返しである。
怪異としては、深夜にあやかしが不定期に自宅のドアをノックし、それに応じてしまったために“大切な家族”を失うという流れであり、すぐ目の前にいた子が失踪する怪異現象がなかなかに重いと感じさせる内容である。おそらくこの程度であれば、珍しいが凄いインパクトを覚えるまでには至らない。しかし最後の部分で、体験者には元々“大切な家族”などおらず、それをあやかしの感化によって思い込まされているという事実を突きつけることによって、読者に怖ろしい衝撃を与えてくる。
掌編で、冒頭から一緒に会話していた人物が実は存在していなかったという内容でアッと言わせる作品はいくつもあるが、ここまで引っ張ってきて説得力のあるエビデンスを出して読者を納得させる(さすがにこの展開の長さで「子供なんかいない」の一言だけでは反則だし白けてしまう)実話怪談はあまり記憶にない。読者を一気に怪談の闇に引きずり込んでしまう、強力な作品である。

あなたは何もわかっていない
いじめを受けていた子が自殺し、その怨みをさらに父親の自死によって呪詛レベルに引き上げた霊を、時間の止まった部屋の中に閉じ込めてしまう《呪術VS呪術》のような怪異自体がレアな内容である。この強烈な怪異譚に加えて、そこにベットリと上塗りするように胸糞な展開を用意するところが容赦ないとしか言いようがない。
いじめに遭った子が死んでなお復讐を遂げられずにある展開もあまり気分の良いものではないが、そこに輪を掛けて、父親の歪んだ価値観・人生観を凝縮したような後日談を最後に出してくるところが、まさに胸糞以外の何ものでない。怪異としては母親の証言で終えたところで特に過不足ないわけで、最後の父親の証言は作者の意図がどこにあるのかを明確に示すものであると言えるだろう。“あったること”だけを書く実話怪談とはひと味違うが、この歪な感覚をダメ押しすることで、怪異が起こった背景の闇の部分がさらに色濃くなったのは間違いないところである。

その他には
「友の挨拶」(美談と見せかけて、がっつり厭な話に仕上がっている)
「理想の家族」(不思議系怪談なのだが、でも奥底から歪んだ感情が滲み出てくる)
「ぺたぺた」(実は怯えている体験者自身が一番怖ろしい存在なのである……)
「七つまでは神のうち」(最後の思わせぶりな疑問でもっと深い闇の扉が開く。ホラー味強し)
「仏壇荒らし」(屈指の胸糞型厭系怪談。ただし隠そうとして却ってオチが見えてしまう難点が)
「嫌いな犬」(思わせぶりな寸止め怪談であるが、陽気な邪悪さが全開の奇妙な話)
「可哀相な子供」(どんでん返し連発の怪異譚。同作品内に類話があるため衝撃が削がれた)
あたりが印象に残った。とにかく各作ごとのレベルは高い。ただ巧妙な仕掛けも回数を重ねれば慣れてしまうし、どうしても似た傾向の道筋が出来てしまう。そこで損をしている部分があることを指摘しておきたい。直球を織り交ぜるから、伝家の宝刀の変化球が冴えるということである。