実話怪談 封印匣

実話怪談本

ねこや堂:著 竹書房怪談文庫
2022年10月6日 初版第一刷発行

全体評

全部で22編の話が登場するが、体験者は2名。もっと正確に言うと、20編が同一の体験者で占められている。作者自身が[視える人]で、その自己体験のみを作品に著す場合以外では、一人の体験者の怪異譚をここまでの割合で1冊の本にまとめるケースは非常に稀である。しかもその大半の体験談が、実話怪談本のメインディッシュになり得るだけの恐怖に溢れ、コアな読者をも引きずり込んでしまうほど強烈な内容になっている。特に体験者自身が、「呪い」を生業とする者の血を受け継ぎ、ある意味善悪の範疇を問わず人知を絶する存在に愛でられる存在であるため、そして真っ直ぐな人間であるため、強烈な怪異に巻き込まれてしまう印象が半端ない。とにかくこの本に登場する怪異の多くが、折り紙付きの恐怖をもたらすことは間違いないところである。そして怪異の内容が「呪い」にまつわる凄まじいものを扱うため、あまり軽い気持で読むのを躊躇うレベルであることを最初に断っておく。

昨今「呪術」というものが注目されることが多いが、個人的な感想を言うと、詰まるところ呪術の《形式的部分》が脚光を浴びているに過ぎないと思っている。具体的に言えば、呪術に使う道具類や護符などの類、あるいは呪術を詠唱すること、呪術の持つ神秘的な力などを格好良いものとみなす風潮など、とかく“型”の部分、もっと端的に言えば本質抜きにしたファッション感覚で受け入れられ、もてはやされている部分が多分にあると感じている。
呪術の本質は、“贄”という代価を支払うことによって得られる“限定的な満足=快”に過ぎない
この“現実”を知っているならば、迂闊に「呪い」などを手元に手繰りよせようなどと考えることはまずあり得ないだろう。本作は、そういう安易な「呪い」に対する感覚に対して警鐘を鳴らす役目も持ち合わせている、もしかするとむしろそちらの方が本当のテーマではないかと思わせるものがある。

人は心ない言葉を耳にした時、心に傷を負う。そしてそれが積み重なっていくことで、心ばかりではなく身体にまで悪影響が及び、ついには命に関わる事態にまで繋がっていく。
これが「呪い」が発動して効力を発揮するプロセスと同じであると考えることが出来る。「呪い」とは、相手から何らかの理不尽な仕打ちを受けたと感じ(あくまで本人の主観的判断による)、それに対する激しい怒りと絶望感を糧にして相手に同じ目に遭わせようとその感情をぶつける、ある種のエネルギーによる作用と言える。その激しい感情が相手より上回れば、相手の精神は傷つき、さらにはその影響が身体にまで及ぶ。もっと激しくなれば、一瞬で相手の命を奪う物理的な力を増幅させることも出来る。それはまさに少量の酸化が錆となって徐々に物を蝕むのに対して、急激な酸化が炎となって一気に物を焼き尽くすのと似ていると言えるかもしれない。
「呪い」を仕掛ける者は、自身の持つ負の感情を必要以上に増大させることによって、欲求を満足させる。さらにそれを確実なものにするために、「呪い」を生業とする存在が現れる。彼らのやる仕事は、簡単に言えば“負の感情の劇的な増幅”に他ならない。そのために依頼者の負の感情以外の“新たな負の感情の生成”をおこなう。即ち[贄]である。彼らは[贄]が理不尽に感じて負の感情を爆発させればさせるだけ、「呪い」の効力が増すことを熟知している。このプロセスの中で、彼らは出来るだけ自分に「呪い」が降りかからないよう、慎重に[贄]に莫大な負の感情を植え付ける。さらに言えば、新しい[贄]によって再生成された「呪い」は、「贄」自身の負の感情によって新たな「贄」を求めて蠢き這い回る。このようにして時間を経ることで「呪い」は様々な名前を付けられて強大化していき、時折新しい[贄]を与えられつつある意味正しい方向に力を発揮しながら管理され続ける、あるいはいずれのうちにか何かの拍子で別の方向に標的を見出してしまって暴走を始めてしまうのである。

この作品の主人公と言って間違いない紗和の体験談は、上に挙げたような「呪い」にまつわるものがほとんどである。しかもほぼ確実にその「呪い」の中核部分に巻き込まれ、命に関わるほどまずい状況に追い込まれることすらある。いわゆる“呪い屋”の血を引き、霊的に長けた能力を持っているが故に、彼らからすれば[贄]としてこれほど最適な存在はないのであろう。
そしてその体験の中で、「呪い」を掛けられた者、祓う者、仕掛けた者、依頼した者、[贄]とされた者、それぞれの凄惨な末路を出来る限り具体的に示している。その多くは見るも無惨な死を迎え、あるいは再起不能な傷を心身に受け、あるいは終わりのない連鎖の中でもがき苦しみ続ける。結局「呪い」に携わった以上は、そこから逃れることが出来ないという事実を突き付けてくる。それは主人公の紗和にとっても同じことで、既に引き金が引かれた状況で何とか綱渡りのように生かされていることは怪異の体験を読めば察することが出来る。

「呪い」にまつわる怪異は、大なり小なり多くの実話怪談本の中で紹介されている。ただその多くは“呪いを仕掛けられた”側からの視線で描かれたものである。この作品ではむしろ、“呪いを祓う”側あるいは“贄として呪いに関わる”側の視点から展開する話が多く、その意味では非常に希少性が高い。
ただそのような視点から見ようが、詰まるところ「呪い」は一時的に誰かの快楽を満足させようとも必ずその代償を支払わされる、それどころか多くの者を巻き添えにして対価以上の何かを失っていく。関わった者全てが烈しく傷を負い、命をも落としてしまうものなのである。この綺麗事では済まされない“現実”をまざまざと突き付けてくるのが、この作品の一番怖ろしい部分であると言えよう。《人を呪わば穴二つ》と言われるが、穴は二つどころでは済まない。いや、もしかすると、ふとしたことで生み出されてしまった歪な感情の落とし子が創り出した、全てを漏れなく呑み込んでしまう途方もない巨大な穴が一つだけ開いているのかもしれない。

実話怪談 封印匣 (竹書房怪談文庫)
――仔盗匣。 「これ何て読むと?」 「ことりばこって読むとたい」 ――「もう一つの、匣」より 蟲毒を扱う一族の末裔。 彼らの家に祀られた禁忌の箱とは…? 視える人たちの生きる壮絶な世界。箱に纏わる奇怪な恐怖実話22! 静かに心揺さぶる、聞き書き実話怪談。 寡作ながら強烈な「引き」を持つ著者の待望の初単著。 組が所有する...

各作品について

ネタバレがあります。ご注意ください。







咒いの家
増大した呪いが、祓う者まで死に至らしめるほど強力になり、暴れるだけ暴れ回るという内容だが、とにかく凄まじい破壊力で怪異が連発する。そしてそれにギリギリのところで対抗する主人公達の行動が綴られているが、命と引き替えに封じるのがやっという展開で終わった。おそらく1週間ほどの出来事なのだが、その密度が濃いため読むだけで圧倒されるという印象である。ただこれが強烈な呪いの現実であると考えると、生み出されてはならない存在であると思わずにはいられない。

箱――次は
ある目的のために祀られた存在が放置され続けた挙げ句、自ら[贄]を求める流れ。そこに能力があるがために目を付けられ、おそらく生涯つきまとわれることになってしまう結末。これこそ呪いが雪だるま式に増大していくプロセスを如実に示した1作と言えるだろう。辛うじて主人公は最悪の事態を免れるが、その後のあやかしの情け容赦ない行動の結果を見れば、迂闊に神に願を掛けることを躊躇ってしまいたくなる。己の欲望の成就のために祈ることは、祀りも呪いもある意味同じ次元である。

螺鈿の蝶
生み出された呪いの力が強すぎて、それを利用して呪いを仕掛けた方が最終的に取り込まれて潰されるという結末になる。心の内に怨みなどの負の感情を持つと、魔に魅入られてしまうと言われるが、まさにそのままの展開である。ストーリー全体が謎解きのように少しずつ真相に近づいていき、最後にもはや取り返しのつかない破滅へ一気に持っていくのは、現実に起こった怪異の劇的さと共に、著者の筆捌きの巧さと言うべきだろう(他の作品でも目まぐるしい展開を冷静で安定した書き方で提示出来ているからこそのストレスのなさと思う次第)。

初戀
今まで呪いに対して受動的で巻き込まれてる立場だった主人公が、逆に間接的に人に対して呪いを掛けるという話。呪いと言ってもある意味人助けではあるが、果たしてそれが倫理的に正しいのかどうか、非常に判断が難しいケースである。ただ一つだけ言えるのは、仕掛けられた少女もその母親もその呪いを呪詛であると捉えていなかったこと。このエピソードが最終話となっているのは、単に時系列的な事情からかもしれないが、ただ“小さな希望”というものを求めた結果だったとも取れるような気がする。

その他にも
「業報」(まさしく因業そのものの話。自らが生み出した呪いを自己決着で持っていってしまう)
「代償」(こちらも因業話だが、本当の意味で想念が怪異を生み出す珍しい内容)
「狐か狸か」(唯一と言っていい、ほっこりする話。ただし最後は若干不穏だが)
「魂の乗り物」(呪いの継続のために[贄]を欲する、その一端を垣間見ることが出来る)
「もう一つの、匣」(呪いを生業とした家系にまつわる色々な怪しい話で、興味深い)
「床下の金庫」(作品内では軽妙な印象だが、本来なら普通にメインを張れるレベルである)
とにかく「呪い」について考えさせられる内容がぎっしり詰まった作品である。これら貴重な怪異を提供した体験者、そしてそれを硬質な文章で支える著者の力量にも敬意を表する。