いきもの怪談 呪鳴

実話怪談本

戸神重明 著  竹書房怪談文庫
2022年4月4日 初版第一刷発行

全体評

人間以外の生き物が怪異の主体となる怪異譚は全体的に少数であり、それ故に怪異として非常に興味深いものが多い。本作も帯の謳い文句が“霊現象は人間だけじゃない!”であり、しかも犬や猫だけではなく、今まで怪談本で見た記憶がないような生物の名前も記されており、非常に期待できるという第一印象であった。

しかしながら、実際読んでみると、かなり期待を膨らませすぎた感があったと思わざるを得ない内容であったことを最初に申し上げておく。
不満を感じた点は2つ。

まず[生き物が怪異の主体である、あるいは怪異の重要なガジェットである]と明らかに言えない作品が複数あったこと。
生き物が全く出てこない作品はなかったものの、どう贔屓目に見ても登場した生き物と怪異の本質部分がずれている、あるいは生き物と怪異の現象を無理にこじつけている(これは体験者自身がそのように感じたのであればやむを得ないところではあるが)と思う作品がいくつか見られた。
また作品の冒頭に並べられている<植物>にまつわる怪異も、果たしてどこまで怪異の本質部分に関係しているのか疑問に思う内容が多かった。特に植物は動物とは違って、主体的に怪異を引き起こす思念的なものが表面に出にくい(決して皆無であるとは思わないが)存在なので、余計に期待していた内容から大きく逸れてしまった印象を頭から植え付けられてしまった感がある。実際一部の作品を除いて、植物の名前は出てくるものの、それが怪異と直接結びついて怪異を形成しているというよりも、あくまで風景の一部と捉えた方がしっくりくると感じた。

もう一点は[生き物主体の怪談作品集である]ことを意識しすぎた演出が逆効果だったこと。
例えば、各作品に登場する動植物についての蘊蓄を挿入したり、明らかに怪異の本筋とは直接関係しない生き物たちとの交流の場面にページを割くなどである。
はっきり言えば、私のような怪異を抽出して読むようなタイプの人間からすると、かなり過剰な演出であるという印象だった。特に蘊蓄に関しては、作者の元々のスタイルが「説明的描写」を多用して展開する形であるため、さらにそこに別次元の説明が入ってくることになり、読みづらさが先行してしまった感がある。作者自身が[生き物の怪談である]という縛りにこだわりすぎたのかもしれない。

……と不満ばかりを述べてしまったが、やはり滅多とお目にかかれない生き物が登場する体験談が多く含まれており、その点では突出して凄味のある作品がいくつもあることも事実である(詳しくは各論にて)。
特に中盤あたりにそのようなレアな作品が固まっており、本作に収められているもので言えば、長編よりも中編の方に上作が詰まっていると思う(長編について言うと、怪異部分でボリュームを取っているのではなく、登場する生き物へのこだわりでページが増えていると思うところが大きく、怪異至上主義者としてはあまりグッと来るものはなかった)。

うがった見方をすると、生き物主体の怪異で文庫本丸ごと埋め尽くしたかったが、それにはまだ少し時間を費やす必要があったのではなかろうか。精力的に単著を出している作者であるので、時間をかければもっと興味深い生き物にまつわる怪談を集めることは可能だったように思うだけに、やや先走りすぎた印象を持った。

いきもの怪談 呪鳴 (竹書房怪談文庫 HO 543)
霊現象は人間だけじゃない…。 深海魚からペットまで 生き物たちの不思議で怖い実話大集合! 命あるものすべてに霊魂は宿る――。 植物から昆虫、魚類、爬虫類、鳥類、ほ乳類まで生き物たちの不思議で恐ろしい実話を徹底取材。 雑草から聞こえる苦悶の声、草を刈ると事件が…「哭く雑草」 土座衛門から子供を守ったリュウグウノツカイ…「...

各作品について

ネタバレがあります。 ご注意ください。







蛸の船釣り
怪異の中心が“蛸”という、非常に珍しい怪異譚。良い意味で、昔話がそのまま現実の体験談として登場してきたと言って間違いないほど、荒唐無稽な話である。しかしながら単に体験者自身が時化の中で錯乱状態で見た幻覚ではない証拠まで付けられており、怪談としての信憑性は十分であると言える。
妻が蛸好きでよく釣っていたため蛸が復讐したようにも見えるが、途中で蛸の足が“水死人の手”のようになったという部分から考えると、むしろ“水死人の死肉を食った蛸に水死人が取り憑き、船幽霊よろしく体験者の船を襲った”と見る方が正しいようにも思う。それ故、蛸を釣らないと願を掛けたことよりも、妻の名を叫んだことの方が、蛸の襲撃を思いとどまらせたように感じる。
いずれにせよ、珍しい話である。

深夜のシーラカンス
おそらく今後もここまで多種多様な生き物が登場する怪異譚は出てこないのではないかと思うほどの上作。
実際には、ある人物の記憶が実体化して現れたと解釈できるので、本当に生き物そのものの念によって発生した幽体ではないのだが、それでもその種類の多さが際立つ。タイトルにあるシーラカンスはむろんのことだが、ダイオウグソクムシなど絶対に怪談に出てくることなどあり得ないと思っていただけに、仰天するしかないし衝撃は大きい。怪異としては珍しいパターンではないが(苦悩する人間の思念が外に溢れてしまい、それを第三者が目撃したという内容)、出てきたものがあまりにレアなので一読の価値はある。

午後の漂流
この作品もリュウグウノツカイという深海魚が怪異に絡んでくる、レアなものである。この魚が人の命を救う内容だけでも興味深いが、それに付随するエピソードに水死体が実力行使をしてくる内容もあり、結構ハードな展開になっている。おそらくどちらかだけの怪異譚であればそこまで高く評価しないだろうが、立て続けに起こるとやはり希少性は高いと思う。

名前を呼ぶモノ
個人的には本作随一の恐怖譚である。動物が人語を解して喋る話は動物怪談の定番であるが、さすがにヒグマの話は今まで聞いたことがない。
何より恐怖を覚えたのが、ヒグマが呼びかける言葉のリズムとテンポ。すごく調子が良いというか、字面的には小さな子供が甘えて名前を連呼しているような印象なのだが、それを喋っているのが巨大なヒグマであると想像すると、ひたすら怖い。しかもこの甘えて連呼する雰囲気が、熊特有の“自分の手に入れられそうな獲物に対する執拗さ”をイメージさせるところが秀逸と言える。(取材方式から考えると、おそらく体験者が実際に聞いたままを作者が書いたのではなく、効果を考えた上であのようなセリフ回しにしたと推測できる)
そしてそれらを踏まえた上で、最期の悲劇的な結末に何とも言えないやるせなさを感じるところが、実話怪談の妙味というか、逃れられない運命に引き寄せられたと言えるかもしれない。
おそらく体験者から直接聞けなかった故に、作者が中盤の一角に並べたのではないかと推測するが、本来であれば終盤のエグい恐怖譚が並ぶ場所に置いてあってもおかしくないぐらいの作品であると思う。

鴉の王
本作の最終話ということで、気味の悪い内容の作品である。
いわゆる【罰当たり怪談】の一種であり、このような悲惨な末路をたどることは当然といえば当然であるが、その復讐の仕方が相当にエグい。本人だけでなく、彼に関わった全てのものを巻き込んで破滅に追い込んでしまう破壊力。烏の群れというガジェットとそれを操る謎の人物の存在感とイメージの鮮明さ。いずれもこの手の怪談パターンの中でもインパクトの強いものだと思う。締めくくりを恐怖と設定するならば、まさに打ってつけの怪異である。