実話奇譚 邪眼

実話怪談本

川奈まり子:著  竹書房怪談文庫
2022年9月5日 初版第一刷発行

全体評

怪談という作品は、文芸であれ話芸であれ、型として《間》を有効活用するものであるとの認識がある。ここぞという場面に来た時に一瞬息を潜めるかのように時間の空白を意図的に作り出し、そこから一気に恐怖の核心を突く言葉を繰り出す。あるいは敢えて言葉を紡がずに欠落した部分を意図的に作り出し、読み手や聞き手の想像力をかき立てつつ負の感情を増幅させる。
文章の世界で言えば、会話のカギ括弧や短い一文で段落を作って視覚的な空白を設ける。あるいは本筋とは関係ない説明や描写を刈り込み、言葉数を削ることで余韻を残したり謎掛けをしたり、故意に全てを書き尽くさずに行間から怪異に関わる真意を汲み取って味わえと言わんばかりの書き方に終始する。こういうタイプの書き様で怪談の持つ淡くて幽かな雰囲気を構築しようとする傾向は、ある意味無意識的に近いところでなされる技巧であると言ってもよい。いわゆる【引き算の怪談】と呼ばれる怪談の作法である。

それに対して、本作の作者である川奈まり子氏の怪談はそのような《間》を隙間なく埋め尽くしていくような作りになっている。
その顕著な場面は、いわゆる“考察”の部分である。起こった怪異がどのような因果によって起こったのか、また怪異を引き起こした存在は何ものなのか等、怪異についての解釈に関わる部分は“あったること”だけを書き記すスタイルの怪談作家はほとんどスルーしてしまう。実際「それが何であるか、何故起こってしまったのか」については言及せず、読者の想像に委ねる作家が多い。それに対して川奈氏の場合、そこにもう一歩踏み込んでいく。さすがに独自解釈を強引に読者に提示して押しつけることはないが、ただ謎を謎のまま残すことはせず、それなりの道標となる知識なり示唆なりが加えられ、話を締めていく
勿論その考察が思い付きや適当であれば全くお門違いな話になるが、そのあたりは説得力があるというか、きちんと着地点を考えた上で構成されているため、得心の行く結論を得た気分になる。

そして【引き算の怪談】に対してもアンチテーゼと言うべきスタイルを取る。時系列的に“あったること”を書き連ねていくのだが、そこには取捨選択という観念がないかのように、さまざまな内容を枝葉の部分まで徹底して書く。【引き算の怪談】は目的のために内容を削ぎ落とすが、川奈怪談の場合はむしろ情報を減らすことなく補足や追加をして目的へ誘導しているように見える。勿論、あることないことを取り混ぜて都合の良いように持っていくという意味では決してないし、文章家として何ら創意工夫の跡が見えないという意味でも決してない。
【引き算の怪談】とは、実は「《真》を語る」のではなく「《偽》を語らない」ことを第一義とする手法である。一見同じように見えるが全く異なる考えであり、極論すると、作家個人の意図や目的に応じて都合の悪い事実をあらかじめ隠すことも【引き算の怪談】では容易に出来てしまうのである。それに対して川奈怪談の凄味は、そのような作為的なものがまるでないかのように次々取材で得た情報を出してくる、むしろそこに補足の説明や追加の情報を加えて読者を誘導するかのように見せる。実際は取捨選択をおこなっているはずなのだが、出来るだけ削らずに素材に近いままを書き出していく。それ故に密度の高い、堅牢な作風を醸し出すのだと推察する。
枝葉を美しく刈り揃えて自然の所為に似せようとする鉢植えの盆栽に【引き算の怪談】を喩えるならば、川奈怪談のそれは枝葉を伸び放題に伸ばしているように見せながらしっかりと管理している竹林のようなたたずまいがある。俯瞰するとごちゃごちゃと色々なエピソードが入り乱れている感があるが、いざ中に入っていくと鬱蒼とした圧迫感もなく、むしろ提示された内容をしっかり追えば作者が意図する場所に難なくたどり着くことが出来る風に見える。

実は本作が川奈怪談単著との初邂逅だったが、繊細な技巧とはかなり無縁ではあるものの、ダイナミックなリアルさと言うべき、骨太な怪談を志向する書き手だなとの感想を持った。そして何よりも、怪異に対してしっかりと作家本人が知見を持って意見を述べてくる姿勢の強さに惹かれる部分があった。心霊や超常現象を専門に扱うノンフィクション作家としての貫禄の為せるところなのかもしれない。

実話奇譚 邪眼 (竹書房怪談文庫)
体験者を徹底取材! 精緻な調査で恐怖の真髄を暴く川奈怪談 「スジの家族しか、無事には暮らせない場所です」 その家には、命をとられる呪いが染みついている… 「クダの匣」より 1000人を超える怪異体験者に取材を敢行、徹底的なリサーチで怪異をリアルに浮き彫りにする川奈怪談、その真骨頂が堪能できる一冊。 ・釣りが好きな女性が...

各作品について

ネタバレがあります。ご注意ください。







「鯉」
作者本人が述懐するように、進行形の大ネタである。そのアパートの住人が鯉と絡んだ瞬間にあちらの世界へ連れて行かれるというとんでもなく理不尽な怪異であり、体験者自身も既にそのターゲットとなっているところに怖さがある。さらに言えば、毎日行き来するアパートの横で、かつての顔見知りが得体の知れない行為を延々と続けているシチュエーションがあまりにも強烈すぎる。しかもこれだけ具体的なことが判っていながら、その原因と思しきものが一切不明というのも気味が悪い。とにかくどこを取っても恐怖譚として必要なパーツが揃っている。
そして何よりも、この怪異が体験者にじわりじわり寄ってくる展開と書き方のスタイルと非常によく合っており、ずしんと腹にこたえる作品に仕上がっていると言える。

「三兄弟」
正直、読んでいる途中で「どこへ向かって進んで行くのか?」と疑問を感じるほど、ありとあらゆる情報が詰まっていた。【引き算の怪談】であれば、おそらくこれらの怪異の一部を取り出したり、あるいは分割して並べたりするだろうと思いながら読み進めた。そして最後まで行き着くと、その何とも言えない因業の深さを感じて立ちすくんだ。
個人的には川奈怪談の特徴を如実に示した一作という位置付けである。パラパラと細かな怪異が降り注ぐ中を進んで行くと、最終盤にごろんと大きな怪の悲劇が落ちているという流れが、何とも言えず美しいというか鮮やかなインパクトを残してくれる。そして概略的なストーリー展開にもかかわらず、リアルさを感じさせてくれる。

「クダの匣」
時系列をいじったり、クダに関する解説を挟んだり、ある種ノンフィクション小説を思わせる構造を持った作品である。いわゆる“憑き物”が絡む怪異譚としては飛び抜けて稀少な内容であるとは言い難いのであるが、小説に近いスタイルでぐいぐいと読ませる印象がある。
体験者と作者との何気なく怪しい会話から始まり、呪物の発見報告からいきなりの結末を示し、そこから時系列的に体験者の身に降り懸かる怪異を一斉に書き並べる。淡々と事実を書き連ねるだけではそれなりの盛り上がりはあるだろうが、おそらくごく普通の“呪物にまつわる奇妙な話”で終わっていたと思う。「読ませる」観点からすれば、ある意味正解の書き方ではないだろうか。

その他には
「バス旅行」(何とも言えずほんわかとした気分にさせる一作)
「カエル奇談」(とにかく下品で笑ってしまうが、すごくレアな怪異である)
「獅子島異聞集」(伝承と怪異が絶妙に噛み合った好編。特に精霊舟の怪異は貴重)
「羽黒山へ」(“現代の昔話”然としたマヨイガと神隠し譚は、神霊系怪談として秀逸)
あたりが印象に残った。