千粒怪談 雑穢

実話怪談本

神沼三平太 著  竹書房怪談文庫
2022年6月6日 初版第一刷発行

全体評

まさしくこの1冊は《異端》である
普通、実話怪談として作家が筆を執って表現する場合、彼らは体験者の身に起こった怪異を徹底的に際立たせることに注力することを目論む。極論すれば、単純な金縛りの体験でも書きようによっては読者を惹きつけながら怖がらせる、そういう手法を常に磨いて作品を紡いでいく。特に話を盛るというわけではないが、その特異性をいかに見せつけるかという工夫こそが自身に課せられた義務であるが如く作家は筆を執り続ける。
あるいは、実話怪談の作家は取材という名の渉猟を常におこない、他に類を見ない怪異の体験を見つけようとしている。どこにでもあるような話では飽き足らず、もっと刺激的で興味深い、同じようなパターンにはまらないようなレアな体験談を探して、それを自らの筆で表現しようとする。この広く怪異をかき集めてとんでもない体験を掘り当てることも怪談作家に与えられた使命であるかのように日夜アンテナを張っている。
とにかく実話怪談作家は、発見した怪異を特別な一作に仕上げることに心血を注いでいることは間違いないところである。

この『千粒怪談』という作品の特異な部分は、一瞬見ただけ明らかである。
わずか300ページ足らずの本の中に収められた体験が1000話。1話あたり約130字強の文字数で語られる怪談である。もちろん実話怪談本の中で断トツの話数を誇る。これだけでもこの本の異様さは理解できるだろう。(さすがに1話あたりの文字数の少なさでいくと、他にも1行レベルの実話怪談があるので、最短文記録は他作品に譲ることになる)

そしてその140字に満たない文字数に怪異の顛末を収める作業のために必然的におこなわれるのが、ディテールの限りない省略である。特に顕著なのが“体験者”に関する情報である。怪異に直結する情報でなければ、真っ先にプロフィールが削られる。下手をすると文章中に体験者が主語として出てこず、体験者そのものの存在まで削り取られることすらある。さらには登場しても、体験者のその当時の主観は極限まで圧縮されてしまっており、心の動きを表す語はもちろん、感情語やオノマトペまで大半が文章から消滅している。ただひたすら怪異の説明とそれに付属する情報のみで構成される文になっている。敢えて言うならば、無機質な箇条書きよりはましな、あらすじのような印象でストーリーが成立するレベルの文がずらりと並ぶ。

そして短い文構成であるが故に、次々と怪異が起こるような話や、複雑な因果の流れを汲み取るような話は、ほぼ皆無に等しい。ほとんどの話は、体験者の日常の一瞬間だけを切り取った怪異であったり、継続的であったとしても何となくルーティンのような雰囲気の怪異であったりで、人死が多発したり、心身共に致命的なダメージを与えられるような、いわゆる重量級の怪異とは言えないレベルのものである。言い換えれば、他人事とは言い切れない、まさに身近で起こったとしても決しておかしくないような怪異をぎっしりと詰めている。

要するに、この『千粒怪談』に収められた1000話の作品は、他の実話怪談本と全く逆のベクトルを目標にして成り立っている。それは始めから仕組まれた《一般化》への道である。
個性的で特別な怪異体験という世の実話怪談本が目指す《特殊化》の方向性とは真逆の、体験者の個性を極限まで消し去り、特殊でレアな怪異ではないものを矢継ぎ早に見せていくことを意図し、常套手段とは完全に異なる作りを敢えて最初から選択しているのである。「いつかどこかで誰もが体験しうる」怪異であるかの如く仕上げるため、個々の特殊な事情を徹底的に省略したスタイルを作者が採用したのだと推断したい。もしこれらの作品群を読んでいる最中に「あれっ」と思って自分自身の記憶を手繰りよせようと思い立った瞬間、まえがきで宣告した作者の術中に読者は完全にはめられているのである。

最後に、この空前絶後の1000話にわたる怪異群であるが、作者の常日頃からの怪異収集能力に驚嘆すると同時に、この破壊的な話数のうちで“通常の実話怪談本”に採用されるだけのレベルのものが一体どれほどあるのだろうとふと思った。感覚的には多分9割ほどの怪異体験は採用を見送られ、おそらく商業刊行物として日の目を見ることなく埋もれていったはずだろう。この作品は、ある意味、このような怪談未満の些細な怪異をこれでもかと詰め合わせてまとめきった、一つの実験的実例としても評価できるのではないかと思っている。
怪異は人口に膾炙されることによって鎮められ浄化していくという説がある。全作品を3行でまとめるフォーマットで整然と綴られ並べられた怪異譚を眺めているうちに、ふと無名戦士の墓碑群をイメージしてしまった。今回の企図がどのようなものであれ、この1000話のうちの幾許かにとっては供養になったのではないかと、個人的に思うところである。

千粒怪談 雑穢 (竹書房怪談文庫)
「路上に座り込んでいる少女がいた。 全身が真っ黒で、肌は爛れている。 女性が前を通る度に顔を上げて、「お母さん?」と訊ねている。 「見ちゃ駄目だからね」との友人の忠告にも拘らず、横を通るときに横目で少女の方を見た。 そこには誰もおらず、小さな靴だけが落ちていた」 10秒で読める怪奇譚が1000話。 1日1怪、2年8ヶ月...