信州怪談 鬼哭編

実話怪談本

丸山政也 著  竹書房怪談文庫
2022年4月4日 初版第一刷発行

全体評

全編長野県で起きた怪異を集めた作品である。ほぼ全部のタイトルに市町村名、あるいは1タイトルで複数話が入る場合は本文中に何らかの地名が書かれており、出来るだけ正確な場所が把握出来るように工夫されている。後述するが、ほぼピンポイントで怪異があった場所が分かる話もいくつかあり、このあたりはギリギリのあたりまで攻めていると感じる部分である。

ただ作品全体を俯瞰すると、「薄い」という印象が強い
まず、文体は仰々しい表現は少なく、怪異に気付く瞬間の描写もかなり控えめで、いわゆる「間」であったり「溜め」のようなものを言葉や段落構成であまり作らないせいもあると推察する。言い換えるならば、視界の端にちらちらしている何か、聞き間違いではないかと思う程度の音、そういうものがもはや否定出来ない存在となるまでの流れが自然なのである。ある意味、怪異遭遇時の体験者と同じ視点で読者が怪奇現象に入り込んでいくような雰囲気を持っている。そのため強い言葉が少なく、何となく「薄い」という印象に繋がっているのではないかと思う。

そしてもう一つは作品全体の傾向である。特に目立ったのは、怪異の内容が「幽霊目撃談」にかなり寄っている点。単純に「見た」以外にも、霊と会話したり接触したりする話もあるが、死に至るほど強烈な結末を迎えるおぞましい内容はほとんど見当たらない。またグロテスクな描写をこれでもかと見せる話もあまりない。とにかく日常のどこかでふと遭遇してしまった怪異というコンセプトで編まれているかのような作品なのである。他の怪談本と比べれば、そういうテイストが「薄い」と評されるのはやむないことであろう。
また、途中に差し挟まれる“古い怪談話”も全体のインパクトを薄めているように思う。江戸時代以前の書物から選ってきたいわゆる“伝説・伝承”の類、明治から戦前にかけて出された“新聞記事”の類。やはりこれらの話はいくら怪奇色が強いといっても、単純な紹介だけでは、実話怪談のリアルさの前では分が悪いのは言うまでもない。

しかし「薄い」から「不味い」という発想ははなはだ見当外れである。
あまりの怪異の強烈さに愕然となる話はさほどもないが、“怪談”として読み応えは十分ある話が並ぶ。特に隠し味とも言えるのが、怪異のあった場所がピンポイントで分かるような話である。現在も営業している施設も複数登場するし(しかも現時点でそれらを利用することも可能)、個人的には「書いてもいいのか?」と思った場所もあった。さらに言えば、歴史的事件事故にまつわる怪談もあり、決して小粒な怪異を並べただけの内容にはなっていない。
その一つの極点に当たるのが、最終話の「幽き者たち」である。他の怪談本とはひと味違う最終話の形態であるが、全体を読み通せばやはり納得しかなかった(具体的評は後述)。

カタストロフィーからカタルシスといった強烈な刺激を求めたい読者には不向きであるが、古き時代の正統派の幽霊談に興味を持つ者であれば、その味わいを充分堪能出来るのではないだろうか。

信州怪談 鬼哭編 (竹書房怪談文庫)
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各作品について

ネタバレがあります。ご注意ください。







回避した者たち
全国的に大きく報道された事件事故にまつわる怪異は、それだけで十分希少性の高いものとみなされる。ここに集められた3話はとりわけインパクトの強い話になっている。
最初のものはそこまで大きく取り上げられなかった災害であるが、“昨年の出来事”という目新しさがある。また怪異の内容も典型的なポルターガイスト現象で、しかも立て続けに色々なパターンが起こっている点が興味深いし、怪異のとどめとも言うべき祖母の顔の出現までの流れがとにかく圧倒的である。
次の作品は、テレビでも結構その映像が出てきた“新幹線水没”時の災害であり、あのイメージと見事にマッチした予知夢がメインとなっている。よく読むと偶然の可能性も捨てきれず(夢で見た時代が完全に違っており、“地形的に似ている”という言葉だけで整合性を維持するのは少々強引と言える)、微妙な部分もあるが、水没する光景を映像で知っている分、イメージが繋げやすかったと言えるだろう。
そして最後の話は極めて稀少な話で、怪異がなくとも「事件当日不在で被害を免れた」という事実だけで十分奇談としての価値がある。それに加えて彼女の予知能力が前面に出てくるわけで、もっと早くに世に出てこなかったのが不思議なぐらいの話である。
どの話も純粋な怪異そのものはそれほど強烈ではないが、重大事件事故と絡むことで怪談として印象的なものとなっていると言える。

スナップ写真
途中まで読んだ感想は、ありきたりの心霊写真の話。しかし後半からどんどん話が良い意味で変な方向に向かっていき、最後は説明の付けようがない話になっていたという印象である。
一旦写った人物が写真から消えてしまう話は、多くはないが珍しいとは言いがたいものである。また生きている人間が未来を予知するように、将来的に関連する場所に写り込む話も僅かではあるが見聞したことがある。しかしこの2つの現象が同時に起こる、しかも複数の焼き増し写真で同時に起こる話は記憶にない。何故そのような事態が起こったのか説明出来ない話の中でも、とびきりの内容であると言えるだろう。

幽き者たち
このタイトルそのものが、作品全体の方向性を明瞭に示しており、最初に書かれた作者の説明こそがこの作品全体のテーマだったのだろうと想像している。
いずれの話も霊体と遭遇する内容であり、特に何かそれが原因でおかしなことが起こったりするような展開にはならない。かといって、遭遇の一瞬を切り取って恐怖を植え付けるという書きぶりでもなく、むしろもう一度思い返してみて初めて何か得体の知れない気持ちにさせられるという印象がある。怪異そのものが小粒であるからそのような方向性を選んだのか、あるいは“幽き”という言葉が示すように漠とした世界とこの世界との境で起こった出来事に思いを馳せようという意図があったのか、そこまでは読み取ることは出来ないが、最終話にこのような不可解な遭遇譚の詰め合わせを置くことによって、薄味の旨味を抽出出来たようには感じる。

その他には
『黒い群衆』(稀少な異界譚である)
『やって来た従兄弟』(有名な事故にまつわる怪異)
『棺の少年』(戦争怪談の佳作)
『公民館』(最初の話が小粒ながら印象に残る)
あたりが作者というか、作品全体の印象を明瞭にする話だろう。