実話怪談と伝承怪談 2

怪談論

前回の展開
「実話怪談とは何か」

  • あり得べからざることが起こる話
  • 実際に体験した人が存在する話

この2つの定義を元にして、今回は実話怪談と伝承怪談(いわゆる昔話や伝承・伝説として語られる怪異譚)との境界線を探ることで、さらに「実話怪談」の定義を強固なものにする。

「実話怪談」の確立期

現在流布している「実話怪談」という言葉の起源はそれほど古いものではない
一般的に「実話怪談」としてそのスタンダードに挙げられる作品は、『新耳袋』と『「超」怖い話』であることはおおよそ一致する。この2つのシリーズが最初に書籍として発行されたのが、それぞれ1990年9月と1991年6月のことであり、平成時代に入ってからの出来事である。
この2冊の共通するコンセプトは、“とにかくシンプルに怖い、本当にあった話”である。これは既存の怪談話が演出過剰や粗製濫造によって新味に欠けていることへのアンチテーゼであったと思う。要するに「実話怪談」とは、昭和時代までのおどろおどろしく大仰に作られた月並調の怪談話からの脱却を目指した、徹底したリアリズムの怪談の潮流であると言って良いと思う。それ故、厳密な定義としての「実話怪談」と「怪談実話」は異なるし、「実話怪談」は1990年代以降に発生した、怪談のリアリズム運動であると定義してもあながち間違いではない。

註:一方「怪談実話」という言葉の起源については、少なくとも戦前までたどることが出来る(多分大正期までは遡及可能と思うが、すぐに取り出せる資料がない)。ただこの語は創作怪談に対する対立項に過ぎず、あくまで事実に基づく作品であるという作家のモチーフに関わる言葉である。しかし1990年代以降登場する「実話怪談」という語(この言葉が一人歩きを始めるのは、メディアファクトリーから『新耳袋』が再発行する1998年以降から、『「超」怖い話』が竹書房から復活する2003年頃までの期間とみている)は本来的に、「怪談実話」よりもさらに狭義の“実話”を追求するスタイルとコンセプトを持つものと定義出来るのではないかというのが、個人的見解である。さらには怪談史的見地からも、この1990年代以降の怪談の潮流を象徴するタームとして「実話怪談」という言葉を使っていきたいという、個人の思惑もある。

ただ今回はこの狭義の内容ではなく、創作怪談に対立する広義の「実話怪談」は名称としてどこまで許容出来るのか、あるいは「伝承怪談」と呼ぶ昔話における怪談との間に連続性はあるのか、あるとすればどこに分水嶺があるのか、を具体的な書名を挙げて考察してみる。

昭和期を遡る

狭義の「実話怪談」にとって昭和の「本当にあった」怪談はまさにアンチテーゼであり、「実話怪談」の定義は昭和時代の批判から生まれてきたと考えられる部分が大きい。だが、広義の「実話怪談」としては、「本当にあった」と作家が作品に冠することで担保する限り「実話怪談」と認めることが原則であり、これに従えば、昭和時代のいかにもいかがわしい怪談話も「実話怪談」の範疇に入ると考えるべきである。
勿論「本当にあった」という謳い文句さえ付ければ何でも「実話怪談」であるとするのは危険であり、実際粗製濫造された作り物と断じても良いだろう話もある程度の数は散見出来る(最も典型的な話としては、オチの部分で唯一の目撃者である人物が誰にも語ることなく、その場で死んでしまうというパターンがある。一応劇的ではあるが、一体誰がその出来事を伝えたのかという点で整合性が破綻している)。

昭和40年代後半から50年代前半に掛けて大きなブームとなったオカルトであるが、それの中心的な役割を果たした作家といえば中岡俊哉である。氏の上梓した怪談本は、まさしく平成時代の「実話怪談」のアンチテーゼであり、その玉石混淆ぶりは客観的に見ても大いに批判すべき点はある。
特に批判されるべき部分としては、“怪異にオチを付ける”ことが挙げられるだろう。おそらくこの時代の心霊テレビ番組の華とも言うべき「心霊写真コーナー」で視聴者を納得させる方便として使われた“地縛霊・浮遊霊・水子霊・動物霊”といった特殊な術語の延長線上から生まれたフォーマットだったと推測するが(心霊写真そのものについても、エポックと言われる『恐怖の心霊写真集』では“所持していても構わない”と記していたのが、数年後には“悪い霊が憑いているので供養しましょう”と読者を安心させる方便を明記している)、いわゆる古典的な因果応報譚を彷彿とさせるフォーマットを「本当にあった」怪談とマッチさせる悪しき慣習を定着させたことが非難されるべきである。
ただし怪異のネタそのものについては精力的に取材をする姿勢を崩しておらず、テレビやマスコミといったエンターテイメントに毒されつつも、全くのはったりや捏造で語られる怪異はごく僅かだろうと思う。それ故、演出過剰ではあるものの、広義の「実話怪談」から外すだけの根拠は薄いとみている。

註:この時代の怪談作家の場合、大人向けの著作に対して、子供向けの本ではやりたい放題と言うべき傾向が強く、精査すれば明らかな書き分けがなされているとはいえ、“心霊研究家”としての肩書きにとっては大きくマイナスとなっている点は否めない(明確に「フィクションである」と宣言すれば良いのだが、“本当にあった話です”というフレーズ自体がこの時代の怪談話では常套の前置きのような役割を果たしているため、混乱を招くことになる)。また前期に比べ、後期から最晩期にかけてはやはり取材や調査が不十分で、かなり眉唾であると指摘されてもやむを得ない内容が増えているのも事実である。

註:実話怪談において“捏造”として断罪される内容は、起こった怪異とは異なる内容を記述することにある。逆に言えば、それ以外の部分、例えば感情的・扇情的な言葉をどう選択するのかといった表記の問題、あるいは起こった怪異に対する個人的な考えや意見を述べる解釈の問題については、胡散臭さを覚える読者が多いのは事実ではあるが、かなり寛容である。それ故に、中岡作品に見える、起こった怪異は地縛霊のせいなのか浮遊霊のせいなのかを巡る発言は、いかに断定しようともそれが生じた怪異を大幅に歪めることがなければ、「実話怪談」の範疇から外れることは理論的には起こらないと言える。

大正期から明治期に遡る

歴史的な流れを鑑みると、明治の前期は、怪談といったあやしい存在にとっては受難の時期、いわゆる文明開化の荒波を受けて撲滅すべきものとして排除の対象となった。そして紆余曲折を経て登場したのが、明治43年に私家版として発表された『遠野物語』である。
今でこそ民俗学の経典のような扱いを受けているが、その成立の過程から内容に至るまで眺めると、まさしくこの作品は「実話怪談」としての要件を備えていると言える。
この作品が世に出るのは、遠野在の人々の話を岩手出身の佐々木喜善から柳田國男が聞いたことに始まる。要するに、体験者と呼ばれる人がいて、彼らから直接話を聞き及んだ人物が作家から取材を受け、作家が執筆・構成する体裁を採っている。これはとりもなおさず「実話怪談」の世界でも同じ構図で取材がなされている(作家が直接体験者から取材する場合も多いが)。
そして肝心の内容であるが、全編が超自然的なものや不可解なもので覆い尽くされており、これら遠野在の人々が直接体験したこと、昔に誰かが体験したこと、あるいは近郷に言い伝えられていることが手短にかつ的確に記述されている。純然たる「実話怪談」と称するには抵抗はあるが、内容を精査していけばかなりの数の“実話”が含まれていることは明らかである。

註:この『遠野物語』において、柳田は佐々木から聞いた話をそのまま口述筆記しているわけではない。後日佐々木は自らの筆で遠野在の人々から聞き取った話を執筆しているが、重複する話を比較すれば、柳田が話の構成や表現でかなり手を加えていることが判る。これも「実話怪談」における作家の役割と全く同じスタイルを取っており、ある意味、『遠野物語』を近代文学史上最初期の実話怪談集とみなすことは決しておかしくないとも言える。

では『遠野物語』において「実話怪談」とはみなせない話にはどのような内容が含まれるのか。
まず挙げられるのが【神々の話=神話】である。これは言うまでもなく、人間がこの世界にあるかないかすら分からない時代の話であり、体験者なり目撃者が全くいないことが明白であるからである。
これに類したケースは、何らかの起源などを記述した話である。これも多くは“いつ誰が”という部分が欠落しており、あったとしてもその具体性を保証するものがあるわけではない。むしろこれらは「昔話」や「伝承」と呼ばれるカテゴリーに属する話であり、これを「実話怪談」として認めることには無理があると言える。

ここにおいて、ある1つの仮説が生じる。
“体験者の存在”が、「実話怪談」を実話たらしめる要件であることはその定義において確認したが、それと同時に「伝承怪談」との境界を定める要件でもある
では「実話怪談」における“体験者”とは一体どのような人物を指すのであろうか。“ある怪異の第一遭遇者”という身分以外に必要な条件は存在するのか。そのあたりをもう少し掘り下げていきたい。
(続く)