実話怪談と伝承怪談 3

怪談論

前回までの展開
「実話怪談」とは《あり得べからざることが起こる話》であり《実際に体験した人が存在する話》の両方の条件を満たした話である。
さらに「実話怪談」と同じ手法で取材され編纂された『遠野物語』において、「伝承怪談=民話や伝説などの昔話の中にある怖い話」に分類される話は、“実際に体験した人が存在する”ことが担保されないという理由で「実話怪談」たり得ないと考える。
以上のことから、仮説として
“体験者の存在”が、「実話怪談」を実話たらしめる要件であることはその定義において確認したが、それと同時に「伝承怪談」との境界を定める要件でもある。
と導き出した。
今回は「実話怪談」における“体験者”とは一体どのような存在を指すのか。そして“実話怪談の体験者”を定義付けることで、【実話怪談】と【伝承怪談】との境界線を明らかにしていきたい。

『耳嚢』は実話怪談たり得るか

前回、明治大正期まで遡って「実話怪談」の源流を探していったが、まずはその続きとして江戸後期に成立した『耳嚢』を取り上げる。
この作品は、書名から判る通り、現代の実話怪談のスタンダードである『新耳袋』のタイトルの元ネタである。これを著したのは根岸鎮衛という旗本で、執筆期間とされる天明5年(1785年)から文化11年(1814年)の間に佐渡奉行や江戸南町奉行を務めた、れっきとした幕府の高級官僚と言うべき人物である。この人物が個人的に蒐集した奇談や噂話などを書き記したのが『耳嚢』である。
この経緯から分かる通り、この作品も純然たる怪談本ではなく、怪異にまつわる話は一部にとどまっている。しかし実際に本人から聞いた体験などが多く含まれるため、その怪異譚はまさしく「実話怪談」の要件を満たしているものが少なくない。

例えばこのような話

御普請役元締の早川富三郎の祖母は病気がちだったが、隣家の心やすく交際していた同位の宅へ行って挨拶をした。隣家の妻は祖母が元気になったことをめでたく思い、また祖母が「本日は暇乞いをしに来た」との言に、役柄での旅をするのかと相応の挨拶をしておいた。同じく祖母は町家で心やすく交際していた者のところへ行き、同じ礼をした。
隣家の妻も町家の妻も、祖母が回復したことや暇乞いに来たことから富三郎宅へ返礼をしに行った。すると富三郎宅では葬礼の支度をしている。驚いて尋ねると、祖母は今朝亡くなったとのことであった。

根岸鎮衛『耳嚢 巻之四』 志村有弘『耳袋の怪』p.26 「老姥の残魂、志を述べし事」を要約

註:この早川富三郎という人物と、『耳嚢』作者である根岸鎮衛とは、天明の浅間山噴火の復興事業の際にそれぞれ御普請役元締、勘定方巡見役として現地に赴いており、旧知の間柄であったと推察される。作者の根岸にとって早川は別部署で働く同僚であり、まさしくこの書物が書かれた時代にリアルに生きている人物である。

当日死亡した人が元気な姿で関係者に挨拶に来るという、内容的には全く何の遜色もない「実話怪談」である。さらに具体的な個人名(しかも記録などでその名が確認できる幕府の役人である)が記されている点では、非常にリアルな怪異譚であるのは疑いのないところであり、「実話」として稀少なトピックであると言える。
しかしながら、この話を「実話怪談」として無条件に分類することへはいささか違和感が生じる。具体的に言えば“早川富三郎”なる人物の肩書きである。この言葉によって“古い”という印象が付いてしまうのだが、それが「実話怪談」のジャンルにこの話を含めてよいか躊躇わせる原因になっている。もし仮に“御普請役元締”などいくつかの古さを感じさせる言葉を取り除き、単純に“早川氏の祖母の話”としてリライトすれば、これは確実に「実話怪談」として認知されるだろう。言い換えれば、“御普請役元締の早川富三郎”という固有名詞が実際の体験者が存在する「実話」たらしめる大きな要因となっているのと同時に、「実話怪談」として成立するために必要なものを失わせる働きをしているという、矛盾する状況が生じている。即ち「実話怪談」にとって“古い”というカテゴリーは回避すべき存在であることを示していると言えるだろう。

註:『耳嚢』は今から約200年前に世に現れた作品であるが、それよりもさらに過去の時代に同じ話が書かれたとすれば、果たして今の読者の印象はどうなるだろうか。例えば『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』が書かれた時代にまで遡った作品であれば、おそらく「実話」であるかどうかの疑義どころか、最初から「実話」であるかを吟味することすら考えつかないだろう。これは「実話」という言葉が隠し持つ“現在性”の概念によるものである。

ところが、この“早川富三郎”という固有名詞の足枷は、条件が異なると雰囲気が変わってくる。例えばもし上の話を早川の子孫が読むとすれば、間違いなく印象は変わる。200年以上昔に実在した、話でしか聞いたことがない人物ではあるものの、まさに自分の先祖であり、ある種リアリティを持った人物として認識することが可能である。すなわち他の人たちと比べれば、この話は限りなく「実話」という認知に至るだろう。

ここにおいて「実話怪談」における“体験者”という言葉に含まれる意味が透けて見えてくるだろう。
即ちここで言う“体験者”とは、“怪異の第一遭遇者”という《事実》によって位置づけられることは明らかであるが、それと同時に、あるいはそれよりさらに高次の位置づけとして、書籍による疑似体験者(読者)との《関係性》が必要になる。言うならば、ある種の距離感である。読者と体験者との距離が近くなればその話は生々しい体験談に変わっていくであろうし、遠くなればその話は「“怪異の第一遭遇者”の物語」でしかなくなるのである
さらに言えば、この体験者に与えられた位置づけがまさに読者との《関係性》の感覚であるが故に、読者を主体とした“近さや遠さの感覚”という非常に不安定なものを基盤として成り立っており、かなり捉えどころのない感覚的なものになっている。言うならば、近さや遠さを具体的な数値にして表すことも難しく、また同じ関係であっても個人によってその遠近の感じ方が異なることが多いため、捉えどころがない印象となっている。しかしながら、理性的な見地に立って明晰に距離感を区分することは難しいにせよ、何らかの規範なるべき事柄をうち立てる試みは可能である。とりあえずこの読者が“怪異の第一遭遇者”に対して持つ距離感のことを【当事者感覚】と名付け、次にこれを吟味していくこととしたい。

「都市伝説」は「実話怪談」となり得るか

「実話怪談」と「伝承怪談」を、読者と体験者との距離感、即ち【当事者感覚】で区分する試みの前に、その【当事者感覚】がある程度形となって受け入れられている分野について考察する。
「都市伝説」と「実話怪談」の関係性である。

「都市伝説」は言うなれば、“体験者不詳”の噂話が本来の対象となる。間違えてはならないのは、「都市伝説」は体験者がいないのではなく、あくまで“体験者は存在するがその実体が全く分からない”のである。その象徴的なフレーズが“友だちの友だちが言っていた”である。
ではこの“友だちの友だちが言っていた”話が「実話怪談」となり得るのであろうか。

結論から言えば、具体的な体験者が現れない限り、「都市伝説」は「実話怪談」とならない
“友だちの友だち”とは一体誰なのか、どういうプロフィールを持つ人なのか。これがある程度明白になって初めて“実話”であると言い切れるものになる。あるいはパブリックな情報源(書籍や新聞・雑誌、あるいはテレビやラジオなどで公開されたもの)が存在するかどうかも、“実話”であることを担保するには必要となるだろう。このような“怪異の第一遭遇者”である存在により近づく作業によって、「都市伝説」は「実話怪談」に限りなく変質する可能性を持っている

註:この“友だちの友だち”に代表される様々な体験者の存在を見極め、「実話怪談」とみなすかの判断の最終的な責を負うのが、怪談作家である。彼らは体験者自身から直接採話するだけではなく、間接的な取材によっても採話をおこなう。そこにあるのは、体験者の存在をより身近なものとして自らが認知し、それを読者のいる方向に手繰りよせる、即ち【当事者感覚】をより近いものにするところに責を負う。そしてこの作家が責を負う姿勢に対して、体験者は自らの前で繰り広げられた出来事を委ね、読者は紛う事なきあやかしを堪能し支持するのである。この絶妙の関係によって構築される相互信用によって、「実話怪談」は成立している。おそらく三者のうちの何者かがこの関係に良心的ではない疑義を抱いたならば、おそらくその者はこの絶妙に造られた楽園から離れなくてはならないだろう

「都市伝説」と「実話怪談」の体験者における距離感の相違は、空間的なものである。空間は無限に広がり、その中を“私”は原理として自由に移動することが出来る。それ故“私”は自分の立つ位置を変化することが可能であり、その結果として自らの意志によって距離感を近くしたり遠くしたりできる。あるいは行動範囲を広げることによって、距離感が近い対象をより多く得ることも出来る。空間的な距離感の相違は修正可能であり、【当事者感覚】は体験者が存在することさえ確証されれば、すぐさまより近いと感じることになる。理論的に「都市伝説」は場合によっては「実話怪談」となり得るのである。
(続く)

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